地域活性化

《中高生からみるSDGs》SDGs11番『住み続けられる街づくりを』

住み続けられるまちづくりを

 現在、世界人口の約半数が都市部で暮らしていると言われています。日本でも2020年現在、三大都市圏における人口が日本の総人口の51.8%を超えており今後も東京圏を先駆として上昇していくという分析が出ています。(総務省「国勢調査」)

 日本では地方の過疎化が問題視されることも多いですが、昨今の新型コロナウィルスの感染状況からも推測できるように、都市部の機能が停止すると物流や情報が不安定となり日本全体に影響します。都市部の生活環境や自然的環境さらには災害時に強いインフラを参加型かつ包括的な方法で整備したり改善したりすることが重要です。

 国連が定めた「2030アジェンダ(SDGs)」では11番において、コミュニティーの絆と個人の安全を強化しつつ、イノベーションや雇用を刺激する形で、都市その他の人間移住地の再生と計画を図ることにねらいがあります。すなわち、都市と人間の移住地を包括的、安全、強靭かつ持続可能にすることを目標に「住み続けられるまちづくりを」を制定しています。

そもそも「まちづくり」とはなにか

 まちづくりにおける厳密な定義は地域の事情によって異なるため一概にまとめることはできません。もし一般的に述べるならば「居住する住民にとってより良い生活ができるように計画し改善していく過程」のことだとは私は考えています。日本の都市部と地方によって人口や生活はもちろん政策や活動が異なるように世界に視野を広げた時に「まちづくり」が場所や資源によって大きく異なることは容易に想像できると思います。そのため、ここからは大きく都市部と地方の2つに分けて「まちづくり」について考察していきます。

都市部における「まちづくり」の考察

 まず、都市部について見ていきましょう。多くの人々が都市部に集中することによりどのような問題が起きるのでしょうか。前章でも述べた通り地域によって異なりますが、貧困や環境問題、教育格差や医療対応など大きな課題に直面しやすくなります。また、地域コミュニティの絆と個人の安全性が地方に比べて損なわれやすく、感染症や災害時のインフラ対応が遅くなる傾向があると考えられます。今回は大きく分けてスラム居住者と環境汚染問題の2つについて取り上げます。

 最初にSDGs1番の「貧困をなくそう」に関連して「スラム居住者」について見てみましょう。実は図を見ていただくと分かるように、2000年から2014年にかけて都市部スラム移住者の割合は減少しており改善の傾向が見られています。しかしながら、あくまでこの数字は相対的な割合であるということ、また未だに約9億人もの都市部スラム居住者がいること、そしてあくまでこの数字は都市部スラム居住者であり世界には数多くの貧困が生じていることを忘れてはなりません。スラム街を縮小させていくことは、誰もが安心して「住み続けられるまちづくり」につながりますが、単にスラムをなくすことだけでなくそれに付随する教育格差の縮小や緑化運動さらには公共施設の整備が「まちづくり」に密接的な関係があることを忘れてはならないと考えます。

 続いて、SDGs7番の「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」に関連して「環境汚染問題」について考察します。人がたくさん集うということはたくさんの「エネルギー」に依存することと等しくなります。地球温暖化の問題が浸透してから再生可能エネルギーが広まったものの、現在でも化石燃料の割合が最も高いことは言うまでもありません。なんと、2014年の時点で全世界の都市住民の約半数が安全基準の少なくとも2.5倍以上の大気汚染にさらされていると言われています。

 都市部に人口が集まると様々な問題が生じます。人間が「住み続けられるまちづくり」をするには人間の共助が必要不可欠ですが、地域コミュニティの形成が地方に比べて弱い傾向にあることが、様々な問題の解決に至らない根本にあると私は考えます。参加型かつ包括的な方法で都市計画を検討し遂行していくことが必要だと考えます。

地方における「まちづくり」の考察 

 次に地方について見ていきましょう。読者の多くの方が地方において「まちづくり」は「地域活性化」や「地域おこし」をイメージすると思います。しかし、私は地方に住んでいるからこそ安直にこのような考えになるのはかえって逆効果を生み出すのではないかと考えています。

 私の通っていた母校の保育所や小学校、さらには通う予定だった中学校などが廃校になりました。地域の拠点でもある学校がなくなることは直接的に地域の衰退につながります。地方における学校は子どもたちだけでなく様々な世代の地域の人も寄り集う場で、時に歓声が湧き時に涙が流れる大切なコミュニティです。そのコミュニティが廃校という出来事で全てが奪われました。また、授業の農業体験などのために田畑を残していた農家も多く、廃校になってから耕作放棄地も増えました。廃校という出来事は学校が廃れるだけでなく地域までをも大きく影響させるものでした。コミュニティがなくなるその様子。原宿から竹下通りが消えるのと同じような感覚かもしれません。

 そして行政や企業、非営利団体が立ち上がります。「田舎の再生事業」「地域の盛り上げ」「観光地と特産品の知名度UP」「ITの導入でまちづくり」などといった形で。しかし、これは「居住する住民にとってより良い生活ができるように計画し改善していく過程」という意味での「まちづくり」になっているのでしょうか。ここで大事なのは「居住する住民にとって」というところです。先ほど挙げた例は「その地域をよくしたい」という想いを持つ外部の者が構築し、一過性かつ注目を集めるためのものである可能性が高く、実際にはその地域の伝統や地域の人の想いとは逆行している可能性があります。地域活性化と名を打って事業を行い失敗するのはそこに要因があると考えています。

 地方において「まちづくり」とは、新たな施設や資源を作るのではなく、「地元には何もない」というような地元愛のなさ、いわゆる心の過疎化を防ぎ、地元がより良くなるためにはどうすべきかを当事者が異世代間で協働的に考えていくことそのものだと考えます。それらに伴う活動の副産物として俗に言う「地域活性化」が生じることで、より地域に根付く、すなわち持続可能な地域へとなっていくと考えています。これらによって形成されたコミュニティは自然災害時の共助の精神などに大きく影響し、生きていくための必要な要素になることは言うまでもありません。


廃校舎のとある教室
 廃村になった分校校舎
田園風景

つまり

 ここまでの話をまとめると「住み続けられるまちづくり」は、整備といったモノ的な事業の遂行よりも心としてのコミュニティの形成、すなわち『モノではなく心』という理念が大切なのではないでしょうか。

もちろん、具体的な事象としては公共事業の遂行など現実として行わなければ解決しない問題もたくさんあります。しかし、昨今の新型コロナウィルスや自然災害をはじめとする幾度の困難に立ち向かうには、予め備わっている人間のコミュニティが必要であり共助の概念がとても大切だと考えます。住み続けられるまちとは後世にもつながっていくまち。それは、人とのつながりと密接な関係がありこの関係を切り離すことはできません。

 冒頭でも述べた通り「まちづくり」は地域の事情によって異なります。とある地域で成功したから真似てみようでは失敗する確率が高くなります。日本の教育でも「外国では○○を行っているから取り入れよう」というような風習がありますが、日本の現状に見合う教育をしなければそれはアップデートどころかグレードダウンに繋がりかねません。価値が膨張しているかのようで実際は実になっていない「バブル教育」が恐れられます。それと同じで、当事者意識のない無意味な価値の膨張による「バブルまちづくり」にならないように、地域のことについて考え、コミュニティをより強固たるものにしていくことが必要だと考えます。皆さんの地域に必要な「まちづくり」とはどのようなものですか?

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